
ESAのサポートを受けた卒業生プレナ
ダージリン
プレナの生い立ち
窓のない一間の家.. それでも明るいプレナと家族
プレナのお父さんは彼女が小学校の時に重い病気にかかり、家族4人の生活は厳しいものでした。窓のない一間の家は、土間の床とトタン屋根で、雨が降ると水が入り込み、屋根にあたる雨の音がうるさくて会話もできないほどでした。
それでもプレナはとても明るい子でした。
小学校に入学したときに買ってもらったぶかぶかの制服は、6年生になるころには長袖が半袖になり、何度も折り返して履いたスカートもミニスカートとなりましたが、それを見ては妹と笑い合い、自分たちが貧しいことを悲しいと思ったことはありませんでした。
プレナの努力と困難
9年生の時に、自分が勉強で頑張って家族を支えようと心に決めたプレナは、学校から帰宅して夜8時まで家庭教師のアルバイトをし、それから朝2時まで自分の勉強をしてトップの成績を守りました。しかし、大学2年の時に無理がたたり、食べることも歩くこともできないほど体を壊してしまいました。父が癌となり、治療のために知人に借金のお願いをして回ったこともありました。
夢の実現へ
ついに教師に。そして結婚、窓のある家も!
そんな様々な困難に直面しながらも、ついに給料の保障がある、夢の教職員試験に合格!母校であるセントマイケル校の教師として働き始め、年金のない両親の面倒も、あきらめていた結婚も、夢だった窓のある家も手に入れることができたのです!
プレナの強い意志、原動力は両親への強い愛情
プレナをここまで引っ張ってきたのは、両親への強い愛情でした。親を楽にしてあげるには自分が公務員になるしかない。その意志の強さと努力は並大抵ではありません。どんなときも彼女は明るく、支えてくれた人々への感謝を忘れませんでした。
プレナは今、自分がこれまで日本の支援者や周りから愛情を受けてきたように、教師として子どもたちに精一杯の愛情を注いでいます。
教育支援の成果が出るには時間がかかります。だからこそ、プレナのように子どもたちがどんな境遇でも夢をあきらめず未来をつかむためには様々な側面からのサポートが必要です。そしてこうした活動・サポートが着実に地域社会をよくするサイクルを生み出すと、私たちは信じています。