香り豊かな紅茶の裏に

支援地ストーリー

紅茶農園に住む子どもたち

香り高い紅茶はゆったりとした気分でカップを傾けて楽しみたい飲み物です。

「紅茶」といって最初に想像するのはイギリスのハイティのような貴族文化です。しかし、紅茶はイギリスでは栽培されていません。18世紀後半、イギリスはアジア地域、特に南アジアを植民地支配します。そして、その地にお茶の苗木を植えると、非常に良い茶葉が出来上がったことから、本国へ持ち帰るお茶の生産を目指して紅茶プランテーションを開拓していきました。

ジャングルを開墾する労働力を確保するため、ネパールやインドの山岳地帯に住む少数民族がこれらの地域に連れてこられました。貧しい生活をしていた彼らは茶園で働けば良い暮らしが待っている、と夢見てプランテーションにやってきたのです。

当時の紅茶農園は、低賃金で重労働ではありましたが、学校や病院などが作られ、住宅も与えられ、配給もあり、最低限の生活が保障されていました。宗教的にほかの地域では禁じられている飲酒も、この地域では特別に認められていました。

ところが、1947年、イギリスの支配からインドやパキスタン(のちに独立して一部がバングラデシュ)が独立すると、茶農園は地元オーナーによる独占支配へと変わり、それまで約束されていた教育や医療などの社会保障はなくなり、労働者の労働条件も悪くなりました。

バングラデシュのシレットエリアの労働者たちは、もともとインドやネパールから連れてこられた少数民族のため、ほとんどがヒンズー教徒です。90%がイスラム教徒と言われるベンガル人とは文化・風習が大きく異なります。教育の機会も与えられませんでしたので、読み書きもできず、今の生活から抜け出す術を持ちません。

このような状況を打破しようと、ESAは紅茶農園に学校を建て、教育の機会のなかった親たちから生まれた次世代の子どもたちが自分たちの権利を知り、大人になった時に社会の中で居場所を持てるよう、自分たちの力で夢と希望を持って生きていけるよう、支援を続けています。

ぜひ、一緒に彼らが夢を持てるよう、応援してください。

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